かつおのプロフィール【35歳で月収23万からの逆転劇】

はじめまして、ブログ運営者のかつおです。

1976年生まれ、岐阜県出身。埼玉県在住。

 

トレードマークは「ハの字まゆ毛」。笑えば笑うほどハの字化します。

 
かつお
すごい角度でハの字になるんですよ。自分ではわかってませんがよく言われるんです。

妻と娘二人と「ハの字まゆ毛」を連発しながら、毎日を楽しく過ごしています。

 

趣味は温泉めぐりです。

一番好きな温泉はなんだかんだ出身地の温泉「下呂温泉」です。お湯のヌルヌル感がたまりません。

 

私はサラリーマンとしての給料を頂きながら、不動産から給料と同等の収入を得て生活ができるようになりました。

50歳までに不動産や不動産以外からの収入を増やし安定させることで、いつでもFIRE出来る状態になることを目標としています。

 

FIRE(「Financial Independence(経済的自立), Retire Early(早期退職)」)

 

あるとき「金持ち父さん、貧乏父さん」という書籍に会い、衝撃をうけ、経済的自立を目指すようになり、独学で何度も壁にぶつかりながらようやくここまで来ることができました。

しかし、まだ不動産収入だけで4人家族で安定的に生活するまでには至っていないです。

そのため、FIRE出来る状態になるという目標達成にむけ、強いモチベーションを維持させていくために、このブログを立ち上げることにしました。

ちなみに、目標は「FIRE」出来る状態になる!なんですが、実際に「FIRE」したくてしょうがない状態なのかというと意外とそうでもありません。

現時点で会社での務めは少なからず私の不動産投資活動にプラスαの要素もあり、見える世界が変わってからゆっくり考えればいいと思っています。

 

なお、ブログのタイトルですが管理者の「かつお」が呟くサイトと言う意味で「かつおぶし」というタイトルにしてみました。

名前負けしないよう「ぶし」って行きたいと思います。

これからの私の記録を残すことで、目標をより成功に近づけたいと思い、記録を公開していきます。

普通のサラリーマンだった私がこれまでどのようにして給与収入と同等の不動産からの収入を得られるようになったのかの記録になっています。

同じように不動産投資で経済的自由を目指している方の少しでも参考になればと思います。

 

私が不動産投資を始めるまでに至った経緯を、もう少し紹介したいので少々お付き合いください。

 

目標もなく冴えなかったパチンコ店でのアルバイト時代

1976年 岐阜県のとある田舎町に長男として生まれました。

両親には本当に大切に育ててもらい、高校までは不自由なく生活していました。

しかし田舎すぎてコンビニもない。マクドナルドが車で1時間以上行かないとないような地域でしたので異常なほどに都会の生活に憧れていました。

私は勉強がそれほど好きではなく高校では真面目に授業に向き合っておらず、学校帰りにはゲーセンに通ったり、友達の家で麻雀をしたりしているような学生でした。

当然公立の大学には受かるはずもなく、首都圏の私立大学になんとか合格しました。

大した目的もなく都会に行きたいという理由で大学へ進学することになります。

しかしそんな志で大学進学したわけですから、大学ではまともに授業に出ずにアパートでゲームばかりして遊んでばかりいました。

そのため大学3年も通っておきながら単位が足りなくなり留年が確定してしまい、このままあと1年で卒業できる自信もなく、親に相談もせずに大学を中退してしまいます。

振り返ってみると本当にどうしようもない奴でした。

本当に大切に育てていただいていたのに、両親には合わせる顔もありません。

大学の費用、生活費もきっちり送ってもらっていたので両親の落胆はそれは大きかっただろうと思います。

大学中退してからは主にパチンコ店のアルバイトなどでその日暮らし。

パチンコ店の時給で生活することはできていましたが、さすがに25歳を過ぎたあたりでこのままずっとパチンコ屋のアルバイトを続けた時の自分の将来に危機感を感じました。

大学中退してしまっていますし、パチンコ店勤務の経歴しか持たない私は通常の社員登用の道は険しい。

そのため、少しでもまっとうな仕事につきたいという理由から、まずは大好きなゲーム機の修理などを承るコールセンターのオペレーターをアルバイトとして始める事にしました。

この時、すでに25歳を過ぎていました。

少しだけ成長できたコールセンター時代

コールセンターで電話を取る仕事は私には向いていたようで、常に受電数トップをキープしていました。

しかしまだ明確な向上心がなかった私はただ電話が取れるというだけで天狗になり、当時のコールセンターのスーパーバイザーたちにめんどくさい文句や注文をしていました。

客観的にみても件数は取れるが、扱いづらい人材でした。

そのため業務知識や経験は豊富であるものの、管理職には声がかからず何年も電話窓口として時間が経っていきます。

入社5年目あたり、30歳ぐらいでこのまま窓口として電話を取ってるだけでは先がない事に気づき焦り始めます。

このあたりからビジネス書をひたすら読み始めました。

何冊も書籍を読むことでいかに自分がここまでの人生を無駄に過ごしてきたかに気づかされることになります。

そして、当時煙たがられていたスーパーバイザーに頭を下げて直談判するのでした。

 

「管理職をやらせてほしい」

 

私は入社歴も長く、安定して受電できるオペレーターでしたので、管理職に近い時給をもらっていました。

そのため、給料据え置きのまま管理職をやらせてもらうことになります。

数々のプロジェクトを経験する

それ以降は、会社から信用を得るために必死に頑張りました。

コールセンターのスーパーバイザーのため、お客様からのクレーム対応も毎日のように発生します。

本来私はクレーム対応は得意ではありませんので辛い仕事でしたが、いまの状況から少しでも抜け出すために必死でした。

また、同時にマネジメントも学びました。

クレーム対応窓口から、オペレーター採用、面談、シフト調整、業務フロー整備、マニュアル作成など、マネジメントの基礎はここで身に付けました。

そのうち全体の統括管理を任せていただくことになります。

クライアント折衝、P/L管理なども管理項目に加わり更に成長していきます。

また、数々のプロジェクトの立ち上げにも参加させていただけるようになりました。

  • 商社社内ヘルプデスク立ち上げ
  • オンラインゲームの運用管理
  • 携帯アプリゲームの問い合わせ窓口

上記のような様々な経験をし一般的なビジネススキルを身に付けることが出来ました。

ようやく一人前になったと言えると思います。

現在の妻との出会いと更なる責任感

妻との出会いはこの会社でした。

妻がコールセンターを退職するタイミングから付き合いはじめていたのですが、自然体でいられ、全くストレスを感じませんでした。

何年か過ごすうちにこの人と結婚するんだろうなと意識しはじめます。

私は会社では数々の経験はさせていただいていたものの、時給で働く契約社員でした。

時給単価はそこそこ貰っていましたが、プロジェクトが変わる度に大きく収入が変わり、決して安定はしていませんでした。

そんな立場のまま結婚することになりますが、現在の雇用形態のままでは、将来の安定は担保されません。

なんとか正社員にならなきゃいけないと思い、在籍していた会社の社員登用プログラムに参加します。

しかし、会社には全国で1万人以上の時間給で働く人材がおり、正社員は500人前後という狭き門。

認定試験などを受けようと思うもそのテーブルにつくのに何年も待たなければならない状況でした。

気づけばもう35歳になっていました。

 
かつお
めちゃくちゃ焦ってました。何とかしなきゃとずっと考えていた時期ですね。

友人の紹介で晴れて正社員に

そんな風にもがいていた頃、元同僚の友人からお誘いがありました。

いま勤めている勤務先がかなり成長している。

人手も足りてないので来ませんか?

かつおさんならきっと活躍できると思う。

とのことでした。

しかし、元々時間給で働く私は入社の条件としては月23万からのスタート、賞与込みで年収約320万という条件でした。

当時時給で働いていたものの月35万は安定して貰っていたので大幅な収入減です。

非常に悩みました。

しかし、このままいまの会社で契約社員のまま続けていても未来はないと思っていたため、妻にも何度も相談して転職を決意しました。

ついに35歳にして「正社員」として働けるようになったのでした。

正社員が安定という幻想に気づく

私は新卒さながらの給料でまた電話受付から必死に頑張ります。

所属された部署はマニュアルも整備されておらず、所属している担当者の知識もバラバラで人によって把握しているフローが異なり聞けども聞けども本当のフローが分からないという状態でした。

そんな環境だったので当時の課長の指示を受け3ヶ月でマニュアル一式を整備し展開しました。

また、フローが固まっていない部分において部署間の認識を洗いだし明文化して展開する作業をひたすら続けたところ、その実績が評価され入社一年で課長職を頂けることになります。

入社1年でなんとか前職の給料を越えることが出来たのです。

ここからは少しずつ評価していただき、給料も500万以上は貰えるようになってきます。

しかし、必死に働くもなかなか貯金は貯まりません。

収入が増えると同時に住宅や車、子供の出産など色々なイベントが重なってきてしまいます。

現在の給料で60歳以降どのような生活が出来るのか人生設計を何度も行ってみます。

しかし、どう考えても豊かな老後を迎えることができないのです。

正社員になれば安泰という根拠のない安心感はもはや幻想だったと気づくのでした。

 

書籍「金持ち父さん貧乏父さん」に出会う

そんな中でした。

ある一冊の本に出会います。

ロバートキヨサキさんの著書「金持ち父さん貧乏父さん」でした。

その本の内容に衝撃を受け、様々な投資を勉強し始めることになります。

その際の記事は以下にまとめました。

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ここから私の逆転劇が始まっていきます。

詳しくは「不動産投資の記録」にて記載していきますが、様々な経験を経て2016年12月に初めての一棟物件を購入。

その後5年の運用を経て2棟目の一棟物件を購入し、2021年現在、2棟14室を所有し、手取り給料と同等の副収入を得られるようになりました。

実体験と考察も交えて更新しており、私が体験した仮定も詳細に記録に残すことでよりリアルに体験いただければと思っています。

興味がある方は是非とも覗いてみてください。

 

 

私の中で「不動産投資の記録」はまだまだ途中です。これからもっともっと成長する姿を見せられるように頑張っていきます。

 

長々とお付き合い頂きありがとうございます。

皆様の不動産投資に本コンテンツが少しでも参考になればと思います。